野沢温泉の歴史
野沢温泉は・・・
- 聖武天皇の頃(724~748年)にこの地を訪れた僧行基で発見したいう説
- 修行中の山伏が見つけたという説
- 手負の熊の後をつけた猟師が見つけたという説
以上が野沢温泉が発見されたという説です。
いずれにしろ、かなり古くから野沢の地に湯が湧いていることは知られていたようです。
その後、寛永年間(1624~43年)に飯山藩主である松平氏が浴場や宿を整備して湯治場としたと伝えられています。
当時はまだ温泉に入るためにて訪れる風習はなく、江戸時代に飯山藩主の松平氏が惣湯(大湯)に別荘を建て、 湯治を楽しんだ記録が残っています。
一般の人々にも湯治を許可した後、多くの人々が湯治という形でこの山里を訪れるようになったと云われている。
また当時の湯治は北信濃や越後の人々が主として農閑期のご苦労休みに訪れたものだった。そして時代は変わり現在の野沢温泉は、 環境整備の充実等に力を入れ健全なる温泉観光地として発展をしました。
日本有数のスキー場、また野沢菜発祥の地として知られています。
硫黄泉がたちこめる温泉街は湯治場として賑わいを見せた。 多くの源泉が自噴しており効能豊かな天然温泉を温泉街に点在する13ヵ所の外湯(無料で利用可能)楽しめる。
スキーの歴史
- 大正12年(1923)12月8日、野沢温泉スキー倶楽部が創立された。
- 大正13年1月には法政大学スキー山岳部員数人がスキー場の視察に来村
- 大正14年1月にはスキー倶楽部と法政大学スキー山岳部の主催で、野沢温泉第一回スキー競技大会が開催された。 野沢温泉スキー場での初の大会である。
- 昭和3年(1928)には、日影スキー場に50メートル級の野沢温泉シャンツェを建設。
- 昭和15年(1940)には、第5回冬季オリンピックが札幌で開催されることになっていたが、戦争のため中止。
- 昭和23年3月には第3回国民体育大会スキー競技会兼第26回全日本スキー選手権大会が野沢温泉で開催
- 昭和25年(1950)12月、日影スキー場に第1号リフトが完成。
- 昭和29年に第二リフト、34年に全長1029メートルの第三リフト、三十六年には上ノ平に第四リフトを建設。
- 昭和41年に野沢温泉中学が札幌オリンピック強化指定校
- 平成4年(1992)アルベールビル・オリンピック複合団体優勝のひとり河野孝典は、 スキークラブ所属選手として発の金メダリストとなった。
野沢菜の歴史
野沢温泉の名物といえば野沢菜。温泉街の夕べの食膳には、必ずといっていいほど登場する漬物です。

野沢菜がこの地で栽培されるようになったのは、1756年(宝歴6年)、健命寺の住職、晃天園瑞(こうてんえんずい)和尚が、 京遊学の土産にと天王寺蕪の種を持ち帰ったことに始まります。
種を寺内の畑にまいたところ、野沢温泉の気候と土質が影響して蕪は育たず、 代わりに葉や茎の部分が巨大に成長して野沢菜が誕生しました。
パリパリとした歯ざわりと、鮮やかな緑なのは、野沢温泉の湯でゆがいて「お菜洗い」をし、 氷点下の外気のなかで漬けこんでいるからです。
[ 野沢温泉について ]
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